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ことわざとは、日本の『広辞苑(第六版)』によると、「古くから人々にいいなわされたことば。教訓・風刺などの意を寓した短句や秀句」であると定義されています。似た言葉に慣用句や故事、金言・格言などがありますが、それぞれに特徴があります。
慣用句は、「手を焼く(扱いに困る)」や「目が高い(鑑識力がある)」のように、比喩的な意味を持ち、一見しただけではその意味が分かりにくいものが多いです。一方、ことわざは「花より団子」や「一寸先は闇」のように、その表現を聞くだけである程度の意味が想像しやすいという特徴があります。
また、故事や金言・格言はことわざと似ていますが、その出典や背景に違いがあります。ことわざの多くは、明確な出典が不明で、長い年月をかけて人々の間に広まったものですが、故事は特定の歴史的出来事や物語に基づいています。また、金言や格言も特定の作者がいて、その言葉が教訓として語り継がれていることが特徴です。
つまり、ことわざには、昔の人々が日常生活の中で学んだ知恵や教訓が、庶民の知恵として根付いているのです。ことわざは各国に数多く存在しますが、その背景や文化が異なるため、国によって似たような意味で表現が異なることわざもあります。たとえば、コスタリカには「カラスを飼うと目をつつかれる」ということわざがありますが、これは日本の「飼い犬に手を噛まれる」と同じ意味です。日本人にとっては後者のほうが身近でイメージしやすいように、ことわざにはそれぞれの国や地域の文化や風習が色濃く反映されているのです。
特に、日本のことわざには日本人の細やかな観察眼や具体的な比喩が特徴です。今回は、日本のことわざの中でも「目」に関連する表現をいくつか取り上げ、その意味や背景について紹介します。「目」に込められた思いや文化を感じながら、一緒に見ていきましょう。
目の上の瘤(こぶ)
意味:目障りで邪魔になることのたとえ。
まぶたの上に小さなものもらいができるだけでも気になるものですが、それが「こぶ」となると、さらに不快で鬱陶しいことが想像できます。この表現は、江戸時代の俳諧『鷹筑波集』(巻二)にも、「目の上を雨のうつにやこぶ柳」と詠まれており、江戸時代には既に広く使われていたことがわかります。
二階から目薬
意味:(1)思うように物事が進まず、もどかしく感じることのたとえ。(2)効果のない、無駄な方法を指すたとえ。
二階から下にいる人に向かって目薬をさそうとしても、うまくいかないことはすぐに想像できます。このことわざが生まれた江戸時代初期の目薬は軟膏状のものだったため、二階から目薬をさすことは「まったく不可能」という意味合いのほうが強かったかもしれません。
鬼の目にも涙
意味:冷酷な者でも、時には慈悲の心を起こすことがあるというたとえ。
恐ろしくて力の強い鬼は、昔話や伝説の中では、冷酷で残忍なキャラクターとして描かれます。しかし、そのような鬼であっても、涙を流すことがあるという意味です。志賀直哉の『鬼』にも、「小鬼の眼に涙だと思った」という記述があります。
目から鱗が落ちる
意味:何かのきっかけで、それまでわからなかったことが急にはっきりと理解できるようになること。
鱗で目がふさがれていたために見えなかったものが、その鱗が落ちることで急によく見えるようになるというイメージです。新約聖書の一節に由来していますが、現在はその起源を知らなくても広く使われています。
目から鼻へ抜ける
意味:利発で、物事の判断が非常に速く抜け目のないさま。
目から入ったものがすぐに近くにある鼻の穴から抜けるように、物事を素早く理解し、即座に行動するというたとえに使われます。幕末の浮世絵師・歌川芳盛の版画「浮世たとえ」では、人が頭を鼻から出し、足先を目に留めている様子が描かれており、このことわざの意味が明示されています。
目から入って耳から抜ける
意味:見たことが理解できず、身につかないこと。
「目から鼻へ抜ける」が賢さや機転の良さを表すのに対して、「耳から抜ける」と、頭に残らないことから、見たものが理解されず、すぐに忘れてしまうことを意味し、知恵として残らないことにたとえられます。
以上、日本の「目」に関することわざをいくつかご紹介しました。これらのことわざには、日常生活の中での気づきや知恵が詰まっており、日本人の感性や文化が反映されています。ことわざを通じて、昔の人々がどのように物事を見つめ、表現してきたのかが感じ取れるでしょう。
(参考文献)
岩波書店「岩波ことわざ辞典」
三省堂「新明解故事ことわざ辞典 第二版」
旺文社「標準ことわざ慣用句辞典 新装新版」
自由国民社「世界の故事名言ことわざ総解説 改訂第12版」
京都大学学術情報リポジトリ (KURENAI)「日本語定型表現の体系的分類に向けて : 特に辞書記述に基づく慣用表現とことわざの分析を中心に」