2023-11-22

古代人は「青」が見えていなかった!?

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2015年、インターネットベースの市場調査会社YouGovが10カ国を対象に行なった調査によると、青色はすべての国で最も人気の色であったそうです。日本においても青色は、一番人気の色であることが報告されています※。色彩心理学では、青は気持ちを落ち着かせたり、集中力を高めたりする効果があるそうです。爽やかさや誠実な印象が求められる企業のコーポレートサイトでも、青色はよく用いられる傾向にあります。

 

そんな青色が、古代の人々は見えていなかったのではないかという議論がかつて存在しました。青色は、人類が進化する中で認識できるようになったというのです。どうしてこのような説が生まれたのでしょうか。詳しく解説していきます。

※出典:「あなたの好きな色は?(2019年9月調査)」(株式会社日本リサーチセンター)

ホメロスの詩に「青色」の言葉は存在しない?

ホメロスは、起源前8世紀頃に活躍した古代ギリシャの詩人です。「古代の人は青色が見えていなかった」という説が生まれた根拠のひとつに、彼の名作英雄叙事詩『イリアス』や『オデュッセイア』に「青色」という記述が一切出てこないことが挙げられます。イギリスの著名な政治家であり、4度も首相を務めたウィリアム・ユワート・グラッドストンは、首相になる10年前にホメロス研究に没頭し、『ホメロスおよびホメロスの時代研究』という全3巻を出版します。

その中で、彼はホメロスの色の描写に疑問を呈しています。例えばホメロスは、「青い海」と描写されるはずの海を、「濃い葡萄酒色」と表現しているのです。これに対し、詩的な表現の一環とみなす説、夜明けや日没時の赤みを帯びた海の色を表現したのではないかとする説、ある種の藻が原因で海が赤く見えたのではないかとする説、さらには古代のワインが青色だったのではないかという説など、多くの学者から様々な意見や解釈が飛び交いました。ホメロスが盲目であったという説も有力です。しかし、それらの説のいずれも確かな根拠はありません。

人間の色覚が進化したのか?

グラッドストンは同著作の中で、ホメロスが牛のことも「ワインに見える」と描写していることから、牛と海の色に共通点がないことを指摘しています。さらに、「すみれ色の海」という表現も使っていながら、同じ「すみれ色」という表現を羊の毛の描写にも使用しているというのです。そして、ホメロスの全著作を通じ、黒を示す形容詞は170回、白を意味する単語は100回前後登場しますが、それ以外の色を示す形容詞はわずか10回前後、「青」に限っては一度も出てこないことを発見したのです。

 

この点に注目したのが、グラッドストンと同時代の言語学者、ラツァルス・ガイガーです。彼は世界各地の文献を調査し、インドのヴェーダ、ヘブライ語の旧約聖書、アイスランドのサガ、そしてコーランの中にも「青」という色を示す記述が存在しないことを確認しました。ちょうどこの時期、信号無視による列車の衝突事故が発生。運転手が信号の色を正しく識別できていなかったことが原因であると明らかになります。初めて、ある系統の色を識別する感覚が他の色に比べて弱い「色弱」という状態の人がいることが注目され、過去も含めた全ての人類が「同じように見えている」という概念は覆されます。その結果、古代の人々は「青」という色を認識できおらず、人類の進化の過程で色を識別する感覚が発達したという説が有力視されるようになったのです。

「青」は見えていないのではなく、「青」を現す表現方法がなかった

人間の色覚が進化したという説は、未開の民族でも色覚があることが明らかになり、次第に収束します。新たに浮上したのは、「青」は認識できていたけれど、「青色」という具体的な言語での表現が存在しなかったのではないか、という説です。現代の私たちにとっては、「葡萄酒色の海」という表現に違和感を覚えるかもしれませんが、それは「海は青色である」という共通認識によるものかもしれません。

 

アメリカでは青信号のことを「グリーンライト」といい、実際に緑色をしています。初めて日本に信号が導入されたときも、日本の青信号は「緑色」でした。日本では「青々とした緑」「まだ青い若葉」のように、緑を「青」で表現する文化があります。そのため、緑色の信号を「青信号」と呼んだのでしょう。日本人が緑色を識別できなかったわけではなく、緑色を「青」と表現するほうが自然だったからです。しかし、この表現は他の文化背景を持つ人々にとっては理解しづらいものでした。実際、日本を訪れた外国人が「日本人は緑色を識別できていないのでは?」と疑問を抱くことがあったといわれています。しかし、最近では「日本の信号は他国より青みがかかっている」という指摘のほうが増えてきました。日本で緑を「青」と表現することが少なくなり、その整合性を取るために、日本は「青信号」を「緑信号」に表現を変えるのではなく、信号の色の青みを強くしたそうです。

日本の色の表現の豊かさはよく知られており、例えば「ミズイロ」という表現は英語にはありません。英語圏の人々も「ミズイロ」は認識できますが、言葉として「ミズイロ」を持つ日本人のほうが、「ミズイロ」に対する感受性が高いとの研究結果もあるそうです。

 

古代の人々も「青」が見えていたのか? 見えていたとしたら何故「青」と表現しなかったのか?その議論は様々あり今も続いています。しかし、もし「青」という言葉がまだ存在していなかったら…海は何色なのでしょうか? そんな疑問を持ちながら海を見てみると、また違った色が見えてくるかもしれません。

 

(参考文献)
『言語が違えば世界も違って見えるわけ』ガイ・ドイッチャー著
『色のコードを読む なぜ「怒り」は赤で「憂鬱」はブルーなのか』ポール・シンプソン著、中山ゆかり訳
『ホメロスと色彩』西塔由貴子著