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東京都板橋区にあるトプコン本社。その敷地の北側に建つ工場(2号館)は、1935年に建設された鉄筋コンクリート造の建物です。竣工からおよそ90年を迎えるこの建物は、2026年に耐震補強や設備更新を伴うリノベーションが行なわれ、新たな機能を備えた施設として再び活用されることになりました。
この建物を設計したのは、阿部美樹志(1883-1965)。鉄筋コンクリート構造が日本で普及し始めた時代に、その理論と実践の両面に深く関わった技術者であることから「コンクリート博士」と呼ばれた人物です。もともと鉄道高架橋の設計を手がけた土木技術者でしたが、その技術力を活かして百貨店や劇場といった都市建築の設計にも携わりました。この当時まだ新しい材料を軸に、土木と建築、さらには構造設計から意匠に至るまで、複数の領域を横断した人物でした。
土木技術者として ー鉄筋コンクリート理論を日本に持ち込む
阿部は1883年、岩手県一関町(現在の一関市)に生まれ、1905年に札幌農学校(現在の北海道大学)土木工学科を卒業して逓信省鉄道作業局に入ります。
20世紀初頭の日本では、鉄道網の整備が急速に進んでおり、都市部では鉄道と道路が平面交差する踏切の増加が課題となっていました。その解消のために鉄道の高架化も進められ、こうした都市インフラの整備には、新しい構造技術が求められました。
こうした背景のなか、阿部は1911年、当時の政府による人材育成制度の一環として、農商務省の海外実業練習生としてアメリカに渡り、イリノイ大学にて鉄筋コンクリート工学を学びます。師事したのは、この分野の世界的権威として知られていたアーサー・タルボットでした。1914年にはPh.D.(博士号)を取得し、その後、ドイツのハノーファー工科大学で研究を続けるも、第一次世界大戦の開戦により帰国を余儀なくされ、当時最先端だった鉄筋コンクリートの構造理論を日本へと持ち帰ります。
帰国後、鉄道高架橋の設計に携わり、日本ではまだ新しかったこの構造を鉄道インフラへと導入していきました。理論と実務の両方に通じた技術者として次第に知られるようになった阿部は、「コンクリート博士」と称されることもありました。
建築家として ー大型の都市建築を手がける
1920年、阿部は鉄道院を離れて独立し、設計事務所を開きました。これ以降も鉄道構造物に携わりながら、その活動は都市建築の設計にも大きく広がっていきます。
1920年代から30年代にかけて、日本では私鉄会社による都市開発が活発に進みました。私鉄各社は都市近郊へ路線を延ばし、駅周辺の開発を進めていきます。いわゆる「第三次私鉄ブーム」と呼ばれる時代です。鉄道会社は単に鉄道を運行するだけではなく、駅ビルや百貨店、劇場などの施設を整備し、新たな都市拠点を形成していきました。
こうした都市開発のなかで、鉄筋コンクリート構造は重要な役割を果たしました。火災に強いだけでなく、必要な柱の本数が少ないため広い空間を確保できるこの構造は、百貨店や劇場といった大規模建築に適していました。阿部は梅田阪急ビルをはじめ、阪急関係のビルや高架橋、劇場など、鉄道会社と関係の深い都市建築の設計に関わり、建築家として評価されていきます。
鉄道構造物の設計で培った構造技術を都市建築に応用した点は、阿部の仕事の特徴のひとつです。土木技術者としての経験が、建築家としての活動にも活かされていました。
※阿部の在職当時、官営鉄道の組織は制度改編が続いており、逓信省鉄道作業局と鉄道院はいずれも国有鉄道を担った組織である。
土木と建築を横断する、表情豊かな高架橋
阿部が設計した鉄道高架橋は、構造的な合理性を基礎としながらも、外観の造形には「遊び」が多くみられます。
当時の鉄筋コンクリート構造物は、装飾を抑えたシンプルで機能的なデザインが主流でした。阿部の関わった建築物も基本的には合理的な構成を採用しています。そのうえで、円窓や曲線といったアクセントをさりげなく加えるのが阿部のスタイルでした。
建築物と同様に、阿部は高架橋の場合でも、タイル張りや石張り、モルタル塗り、蛇腹、レリーフといった装飾を施したり、従来は直線であるはずの構造を曲線にしてみたりと、ディテールへのこだわりをみせています。
もうひとつの特徴は、やわらかなアーチ構造です。外神田橋で採用されたメラン式(鋼材とコンクリートを組み合わせた)鉄筋コンクリートアーチの意匠は、その後の高架橋設計にも展開され、1930年代の東京の高架橋や阪神電鉄の御影高架橋などでも、アーチ形状が用いられています。
こうした細かなディテールや工夫は、単調になりがちな鉄筋コンクリートの構造物に豊かな表情を与えています。
阿部の仕事を未来へ
トプコン本社2号館が建設されたのは1935年です。当時の社名は東京光学機械株式会社でした。建物はまず南側部分が建設され、その後に北側の棟が増築され、現在の中庭を囲むロの字型の構成となりました。
測量機器や光学機器の開発・生産を行っていたトプコンにとって、研究施設や工場の整備は不可欠なものでした。特徴的な大開口の窓は、通常下階に設けられる梁を上階に配置することで実現されたものであり、自然光を最大限に取り入れるための工夫に基づいています。アーチ状の梁が短いピッチで連続する構造とあわせ、光学研究・製造に適した機能性と意匠性を兼ね備えた空間を形成しています。
また、柱の少ない大スパン空間は高いフレキシビリティを備え、研究・製造拠点の原型としての役割を果たしました。当時の最先端の研究開発を支えようとする思想は、現在もなおこの空間に息づいています。

その後、長い年月の中で改修が重ねられ、外壁の配管が増え、中庭に仮設設備が増設されるなど、当初持っていた空間構成や特徴は、事実上「埋もれて」見えにくくなっていました。
今回のリノベーションでは、こうした後年の設備を整理するとともに、耐震補強や設備更新が行われました。補強はできるだけ外観に影響を与えない方法で進められ、建物がもともと備えていた風通しの良さや開放的な空間構成が再び生かされています。
また、従業員同士の交流や学びの場として、講堂やカフェテリアなども整備されました。歴史ある建物に現代の機能を加えることで、新しい働き方に対応した施設として再生されたのです。

講堂

カフェテリア
およそ90年前に建てられたこの建物は、今回の改修によって現代のワークプレイスとして新たな役割を担うことになりました。鉄筋コンクリートという当時としては革新的な材料の可能性を切り開いた技術者が設計した建物は、長い年月を経てもなお、トプコンの技術開発を支える場所として生き続けます。
<参考文献>
小野田 滋「阿部美樹志とわが国における黎明期の鉄道高架橋」(『土木史研究 第21号』)
江藤 静児「鐡筋混凝土にかけた生涯」(『日刊建設通信新聞社』)
トプコン 『トプコン、本社2号館のリノベーション完了 戦前からの建物に新たな息吹を。人と技術が育つ未来志向の拠点へ』




