2023-09-29

テクノロジーが発展しても大切にしている、田の神への祈願と感謝

目次

自然とともに暮らし、自然を敬い、米作りを基盤とする生活を営んできた日本では、水田稲作をはじめた先史時代より、家や集落ごと、地域ごとで、農作業の節目節目に「田の神」を祀ってきました。現代においても、日本の各地で、一年を通して多種多様な祭りや行事が執り行われており、その中にはユネスコの無形文化遺産に登録されているものもあります。地球温暖化を原因とする気候変動によって米づくりに対する様々な害が頻発する今日、どれほどテクノロジーが発展しようとも、「神頼み」というフレーズを農村で耳にすることが増えています。そこで、いわゆる「田の神」についての知識を深め、その価値を探っていきます。

 

米が富を生み、農耕儀礼を生んだ

田の神は、八百万の神の一種で、農耕の守護神と信じられてきました。田んぼがあるところでは、田の神の存在を信じていると言っても過言ではなく、その呼称は、「作神」「農神」「百姓神」「野神」「亥の神」「サンバイ」等、地方によって様々です。現在の農家の割合は人口の約3%ですが、明治末期から大正期にかけては50%超。幕末のころは人口の約85%とされています。つまり、米作りの長い歴史の中で、日本の大半の人が農耕に携わり、田の神を信じて祀ってきたと推測できるのです。

 

田の神を祀る農耕儀礼のはじまりには、「ムラ」が関係しています。縄文時代後期に大陸から稲作の技術が伝わり、水田稲作が始まったことで大量の水を川から引くための水路造りが求められ、集団の力が必要となってきました。その作業のため、集団で生活するようになり、ムラ(集落)を形成していきます。ムラでは、米を共同で管理し、米が貨幣の役割を兼ねるような生活文化が生まれました。それゆえ、災害がなく豊作を願う気持ちは現代以上であり、収穫への喜びも計り知れないものがあったはずです。農耕儀礼が執り行われるようになったのは、このころからと考えられています。

祈願と感謝は、正月の予祝儀礼から秋祭りまで

農耕儀礼は、正月から執り行われます。正月の神「年神」の「年」は稲の実りを意味し、穀物神(田の神)である、また、年神は三つの神で成り立ち、その一つが田の神であると考えていたりもしています。耕作開始前の小正月に、豊作を祈願し、先に祝う「予祝儀礼」が集中しており、稲の豊作に見立てる「餅花」等の飾り、「左義長」「どんど」「とんど」等の火祭り等、各地で多種多様な儀礼が執り行われています。

 

春の儀礼は、苗代に籾(もみ)を播く時に、水の出入り口に土を盛り、季節の花や小枝を挿し、お供えして豊作を祈願する「水口(みなくち)祭り」、田植えのころには、田んぼや田んぼに見立てた神社の境内等で早乙女が田植えを行ったりして祈願する「御田植祭り」。夏には、害虫を追い払う「虫送り」、踊りを奉納したりお焚き上げをしたりする「雨乞い」、そして、秋には、収穫に感謝する「秋祭り」。これらが代表的な農耕儀礼です。

 

ユネスコの無形文化遺産として登録されている農耕儀礼もあり、その一つが「奥能登のあえのこと」です。「あえ=食のもてなし」「コト=神事」の意味で、各家庭の奥座敷に神座を設け、ここでは夫婦神とされる田の神を家へ迎え、風呂へ入っていただき、山海の幸でもてなす儀礼です。行われるのは年に2回。12月5日には、田から家へ迎え入れ、一年の収穫を感謝し、耕作前の2月9日は、豊作を祈願し、家から田へ送り出します。儀礼では、正装した家の主人が中心となり、「田の神様、お湯の加減はいかがですか」等と話しかけ、田の神が実在するかのようにふるまいます。

田の神の正体は、山の神か、桜の「サ」か、それとも

田の神は、いったいどのような神様なのでしょうか。様々な説がありますが、最も広く知れ渡っているといえば、秋から春までは「山の神」であるということ。春になると山の神が山から降りてきて田の神となり、秋には再び山の神へ変わり、山に戻るという考えです。昔の人は、豊作を祈願するにあたり、信仰の対象であった山岳に目を向け、山の神を自分たちの里にお迎えしたと伝えられています。神が行き来する日は、田植え時と収穫後の春と秋。3月16日と11月16日とする東北や北陸の米どころでは、16個の団子「十六団子」を作りお供えします。

 

田の神は、まずは桜の木へ降り立ち、花を咲かせ、田植えを見守るという説もあります。つまり、桜の木が依り代。田の神は「さくら」の語源とする考えもあります。その考えでは田の神は「サ」であり、「サ」の神が降り立つ座を「鞍(くら)」とし、「さくら」は「田の神が坐するところ」という意味を持たせています。神が里に降りることを「さおり」、山に戻ることを「さのぼり」といい、その他にも「さ」の付く言葉は田の神様と関係していると考えられているのです。

 

目に見えないとされる神様ですが、南九州には、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼ばれる石造りの神が田の脇に鎮座しています。白塗り等もあって個性豊かな顔立ちが特徴で、農民型、神官型、地蔵型等のタイプがあります。最も古いもので宝永2年(1705年)に造られ、旧薩摩藩の新田開発ともに増えていき、約2千体が確認されているとのこと。祭りのときだけではなく、地域の人たちに日頃から親しまれる田の神もあるのです。

ベースにある気持ちは、いつの時代も変わらずに

田のあるところに田の神あり。米づくりに携わるようになった人たちは、どの時代でも、どこで暮らしていても、雨や太陽のありがたみを身をもって知り、次の年に何事もなく豊作になることを自然と願っているものです。とはいえ、農家が減少するにつれ、小規模な儀礼ほど年々途絶えているのが現状です。

 

そんな中、新たなかたちで継承を願う人たちも増えつつあります。例えば、前出の「奥能登のあえのこと」では、執り行う農家が80軒程と減り、簡素化が進んでいることから、後世へ残すために儀礼をオープンにしました。年間を通じて儀礼の見学を可能とする場を設ける等の取り組みが行われています。

 

南九州では、「田の神さあ(タノカンサア)」に観光の要素を持たせ、アピールしています。ガイドマップを作成したり、神様の個性を活かして五穀豊穣の文字とともにプリントされたTシャツを作ったり、さらには、陶芸家でもある地域おこし協力隊が素焼きの土器でミニチュアの神を作り、カプセルトイ(ガチャガチャ)にしたことで話題になったりもしています。(土器でつくった「いさのたのかんさあ」ガチャガチャ

 

農家の方達は先端技術が急速に発展し、時代が変わっても、祈願する気持ちや、感謝する気持ちは変わっていません。昔も今も、自然と折り合いをつけながら、自然と共に暮らし、米を主食とする私たちにとって、米づくりに直接携わっていなくても、そのベースとなる部分は忘れてはいけないことのひとつかもしれません。

 

トプコンは、2006年よりスマート農業に取り組んでいます。
トプコンのスマート農業