2023-05-18

仏像の目が半開きなのはどうして?

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仏像の目は開いているのか閉じているのかどちらともいえないような、半開き(半眼)の状態が多い印象はありませんか? 目を伏せて視線を下に向けているようにも見えますが、下から仰いで目線を合わそうとしてもなかなか合いません。何か意味が込められているのでしょうか。今回は、仏像の目に注目してみましょう。

仏像には種類があり、目の表現も異なる

仏像とひと口にいっても、実は大きく「如来」「菩薩」「明王」「天部(天)」の4つのグループに分かれています。「如来」は悟りを開いたグループ、「菩薩」は悟りを開くために修行中のグループ、「明王」は仏の教えに従わない者を懲らしめるグループ、「天部」は仏法や如来を守る神々のグループです。元々仏像は、仏教を開いた釈迦(ゴーダマ=シッダールタ)の姿を表したのが始まりです。釈迦をモデルにした仏像は「釈迦如来」といい、台座に坐って印を結んでいる姿が一般的で、釈迦が生まれてすぐの様子を表した「誕生仏」や、入滅したときの姿を表す「涅槃像」などもあります。

 

その後、悟りを開く前の王子時代の釈迦をモデルにした菩薩像もつくられるようになり、さらには釈迦と同じように悟りを得た人、悟りを開くために修行中の人もいると考えられ、様々な如来像(薬師如来、阿弥陀如来など)、菩薩像(文殊菩薩、観音菩薩など)がつくられるようになりました。

半眼の仏像は、実は如来像か菩薩像に限られることが多く、明王(不動明王など)や天部(毘沙門天、金剛力士など)の多くは、悪を叱咤するために目を見開いて怒りの形相をしています。

半眼は瞑想している状態を表現!?

如来像や菩薩像の目に半眼が多いのは、瞑想中の姿を表しているとする説が有力です。人々を救済するために精神を集中しているのです。集中するときは目を瞑るという人も多いかもしれませんが、目を閉じると周りが全く見えなくなるので、自分自身にしか意識が向きがちになります。また、うっかり眠くなってしまうこともあるでしょう。そのため坐禅や瞑想では、何かを凝視することなく、うっすらと目を開ける半眼をすすめることが多いようです。見下ろすように立っている仏像と、下から目線を合せようとしても合わないのはそのため。実は両眼とも瞳の位置を少しずらして、視線が合わないようにつくられているそうです。

ちなみに、釈迦の目は青みを帯びた金色で、まつ毛は牛のようにビッシリと生えていたといわれています。

つくられた時代で異なる仏像の目

日本で仏像がつくられるようになったのは仏教文化が開花した飛鳥時代です。この頃に仏師として活躍したのが止利仏師(とりぶっし、鞍作止利(くらつくりのとり)とも)。日本最古の大仏である飛鳥寺の飛鳥大仏も完成させました。止利仏師がつくる仏像の目の特徴は、上下のまぶたの弧線を同じように大きく描いた杏仁形(アーモンドアイ)。唇の両端をわずかに上に向けることで、微笑しているような表情(アルカイックスマイル)を表現しています。

 

その後、飛鳥時代後期から平安時代に入ると、仏像に日本らしさが出てくるようになります。ふっくら丸みを帯びた穏やかな姿で、遠くを見ていた視線は、拝む人のほうを見ているかのようなうつむき加減のものが多くなります。鎌倉時代になると、より写実性が求められるようになり、瞳に水晶をはめこむ「玉眼」という技術が誕生しました。それ以降の仏像には玉眼(ぎょくがん)が多く用いられるようになりましたが、有名な仏師・運慶は木を彫って目を造る従来の「彫眼」の技法も使い分けていたといいます。

「目は口ほどに物を言う」というとおり、仏像の目を見ていると、何か語りかけられているような気がします。それは、仏像を造った仏師たちの工夫や、当時の時代背景が表されていたのです。今後、仏像を拝む際には、目にも注目してみると、その年代や仏師が表現していた仏の心を垣間見ることができるかもしれません。