2023-05-16

徳川家康も愛用した! メガネと日本の歴史

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乱世の時代に終止符を打ち、江戸幕府を開いた天下人・徳川家康。2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』では、少し気弱で優柔不断な一面を持つ人物として描かれ、これまでになかった新しい家康像に魅了されている人が多いかもしれません。家康は、日本で最初のメガネ愛用者ともいわれています。いったいどのようなメガネをかけていたのでしょうか。メガネの歴史とともに探ってみます。

フランシスコ・ザビエルが日本にメガネを持ってきた

メガネは13世紀後半にイタリアで発明されたといわれています。透明度の高いベネツィアン・グラスは、レンズをつくるのに最も適していました。また、当時のイタリア絵画にもメガネを使っている人物が多く描かれています。

 

日本にメガネがやってきたのは、その約300年後のこと。キリスト教を初めて日本に伝えたイエズス会宣教師、フランシスコ・ザビエルが持ってきたといわれています。1551年4月、戦乱の京都を逃れて周防国(現在の山口県)に辿り着いたザビエルは、周防を治めていた大名・大内義隆にメガネを献上しました。それが功を奏したのか、義隆はザビエルにキリスト教の布教を許します。しかし同年、義隆は自害してしまったため、メガネを愛用するまでには至らなかったようです。

日本最古といわれる徳川家康愛用メガネが現存

その後、メガネはどのように日本に普及したのでしょうか。ザビエルが義隆にメガネなどの贈り物を献上したことが布教のきっかけになったことから、イエズス会宣教師やポルトガル商人たちは、大名たちと謁見する際に贈り物を持ち込むようになり、その一つにメガネもあったようです。次第に、ポルトガル船での貿易も活発になり、ザビエルがメガネを持ち込んでから85年目の1636年には、鼻眼鏡が 約2万個、翌年には4万個近くが輸入されています。もはや、この頃にはメガネはある程度の富裕層たちの間で普及していたと思われます。そのなかで現存する最古といわれるのが、徳川家康が愛用していたメガネです。手で持つタイプのべっ甲でできた老眼鏡で、正式には「目器」といい、静岡県の久能山東照宮に大切に保管されています。家康は数えで75歳という長寿を全うしていますから、晩年、老眼鏡は欠かせなかったのでしょう。

一方、京都・大徳寺の塔頭である大仙院所蔵の古メガネが日本最古だという説もあります。寺伝によれば、室町幕府8代将軍・足利義政使用のものを、12代将軍・義晴が受け継ぎ、それを大仙院開祖の古岳禅師に与えたとされています。義政は1490年に亡くなっていますので、義政が使用していたとなれば、ザビエルが持ち込んだよりも前に、日本にメガネが伝わっていたことになります。しかし、残念ながら今のところそれを証明する書物などは残されていません。

明治時代にレンズの本格的な国内生産がスタート

日本国内で初めてメガネがつくられるようになったのは17世紀に入ってから。鎖国が本格的になった時代です。メガネの輸入数がぐんと減ったため、国内で生産されるようになりました。メガネが鼻からずり落ちるのを防ぐ「鼻あて」は、彫りが浅くて鼻が低い日本人のために、日本人が独自に開発したものです。レンズの本格的な国内生産がスタートしたのは、明治時代に入ってから。1875年にウィーンで開催された万国博覧会に出席した朝倉松五郎が、レンズの研磨技術を学んで帰国したことがきっかけでした。

20世紀に入ると、メガネ製造技術が福井県鯖江市に伝わり、現在は国内産メガネの95%を鯖江市が製造。鯖江ブランドは、世界的にも品質面でトップクラスとされています。老眼鏡の輸入から始まり、現在はファッション性も高いメガネ。『どうする家康』で、主人公の家康を演じる松本潤さんが、メガネを使用するシーンは今後あるのでしょうか。ドラマの展開とともに楽しみです。