2023-11-28

万里の長城が月から見える可能性は?

目次

中国の北部に広がる、約6,000kmも及ぶ長い城壁「万里の長城」。そのスケールの大きさから「月から見える唯一の人工物」といわれ、かつて中国の教科書にも記載されていました。しかし、2003年に中国人の宇宙飛行士・楊利偉が地球に帰還し、「宇宙から万里の長城は見えなかった」と明言したことをきっかけに、その事実が覆ります。実際、万里の長城の幅は平均10メートルに過ぎず、高度36キロメートル程度で視界から消失するとされており、月から識別するのは困難です。この「月から見える」という認識は、西洋から広まった可能性が高く、それだけ万里の長城が西洋人にとって偉大であったということでしょう。そのような巨大な建造物がどのようにして築かれていったのでしょうか。詳しく解説します。

万里の長城は誰が何のためにつくった?

万里の長城は、紀元前210年ごろに初めて中国全土を統一した秦の始皇帝によって本格的に築城されはじめました。しかし彼が全く新しく長城を築き始めたわけではなく、長城自体が中国で最初につくられたのは、紀元前7世紀ごろと推定されています。始皇帝は、戦国時代に各国が北部に築いた城壁を増築し、連結させたのです。天下統一後、将軍・蒙恬(もうてん)は、始皇帝の命により、30万人の軍を率い、北の遊牧民族・匈奴(きょうど)を追いやり、再び侵入されることを防ぐために長城を建設しました。

 

広げた領土に囚人たちを移住させて開墾させ、6年間で約5,000kmにも及ぶ工事を完成させました。囚人以外にも、若くて健康な国民たちも多く駆り出され、その数は30万から100万人とも伝えられています。当時の秦の人口は約2,000万人でしたが、始皇帝は自身の宮殿や墓の造営、中国南部の遠征など、様々な国家プロジェクトに多くの農民も駆り出され、農村部では深刻な人手不足に陥り、不満が勃発し、反乱の原因にもなりました。そして、始皇帝の死後、秦の滅亡へとつながってしまいます。

建設に「人柱」は使われたのか?

「孟姜女(もうきょうじょ)伝説」という、秦時代の万里の長城建設の過酷さを現す伝説が残っています。孟姜女の新婚の夫が長城工事に駆り出されてしまいますが、その後連絡が途絶えてしまいます。心配した孟姜女は現地に赴きますが、夫は既に死亡しており屍が長城の土壁のなかに埋められていることを知ります。孟姜女が悲しみ嘆くと、長城が崩れ瓦礫の中から夫の人骨が現れたという悲しい物語が描かれています。このような物語や民謡を通じて、「長城建設に人柱を用いる」という噂が伝わってきました。

 

しかし、実際の建設現場では、黄土を棒などで叩いて突き固めて重ねていく「版築(はんちく)」という工法が用いられていました。中国北部は雨の少ない乾燥地帯が多く、粒子の細かい黄土が手に入りやすかったことが、この工法が採用された理由と考えられます。かなり強固な壁で、監視の役人が錐(きり)を刺して確認していたほどで、鋤を突き刺すこともできなかったといいます。長城は長距離に及ぶので、黄土が手に入りにくい土地では、小石や葦、枝などを混ぜたり、山を削り取って断崖としたりするなど、他の方法が採用されることもありましたが、いずれにしても強固な壁をつくることは共通しています。そのため、いずれ土に還る人骨が使用されていたとは考えにくく、人柱が使われていたという話は伝説に過ぎないといわれています。

現存する長城はほとんどが明時代のもの

1987年に世界文化遺産に登録された「万里の長城」は、数多くの観光スポットが設けられていますが、その名所になっている箇所の多くは、秦の時代から1000年以上後の明時代(1368〜1644年)に建設されたものです。長城は秦が滅亡した後、前漢時代に西方に延伸され、西域諸国や中央アジア、ヨーロッパとの交流の架け橋としての役割も担いました。外敵に攻められる心配がない時代には、長城は放置されていました。

そして明時代に入り、当時の領地を守るために、秦時代の長城よりも南側の位置に、新たに長城が建設されたのです。秦時代には馬や人が乗り越えられない3メートルほどの高さで足りましたが、明時代には約3倍の高さの壁が焼成煉瓦でつくられ、床も石や煉瓦で舗装されました。秦時代の3倍の高さの壁をもち煉瓦で舗装された橋をつくるという大規模な工事には、約400万人が動員され、約900kmの壁を築いたといわれています。

万里の長城の約3分の1が消失!?

万里の長城は、歴代の王朝によって2000年以上にわたって修理や延伸が繰り返され。その総延長距離は2万キロにも及ぶといわれています。敵からの侵入を防ぐ「防壁」としての機能だけでなく、射撃孔や狭間を設けることで敵の進行を遅らせ、監視や通信、武器の保管場所なども一定間隔でつくられていました。時代によって、国の領土や外敵の侵入経路が異なるため、長城が足りなければ建設し、必要がなければ放置されて衰退していきました。その結果、崩壊してしまったもの、ダムに沈んでしまったものもあります。さらに、中国メディアの調査によって、明時代の長城の3分の1が消失していたことも報道されました。住宅建設のためにレンガが持ち去られるなど人為的な破壊も理由のひとつだとされています。このことを踏まえ、長城保護条例も発布されるなど、修復・保存が課題となっています。

現代の日本に長城を築くとしたら?

海に囲まれた島国である日本には、陸路からの侵入者を防ぐための万里の長城のような城壁は必要ないかもしれません。もし建設するとしたら、場所は、海からの侵入を防ぐために海岸線が妥当でしょうか。日本の離島をのぞく海外線は約2万キロなので、ちょうど万里の長城のサイズとぴったりです。いまや、大量の土を一気に削ったり運んだりできる建設機械はもちろん、その建機を設計データ通りに制御し、自動施工を実現するICT自動化施工技術もあります。果たして、日本版「万里の長城」建造にはどれくらいかかるのか?考えてみると、わくわくしてきませんか?

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