2023-11-02

古墳時代は日本最初の大土木時代!

目次

日本には全国各地に、3世紀中頃から7世紀にかけて造られた古墳が約16万基も存在します。特に注目されるのが、四角形(方形)と円形が合わさった、世界でも類を見ない特殊な形状をした「前方後円墳」です。巨大な古墳を造ることは、当時国家最大の土木プロジェクトかと思われます。このように建設技術が発達していない時代に、どのように造られたのでしょうか。その歴史と技術の全容に迫ります。

古墳は何故造られたのか?

古墳とは、土を高く盛った古い墓のこと。一般的には3世紀中頃から7世紀頃までに日本各地で造られたものを指し、この時代を古墳時代と呼んでいます。その始まりとされるのが、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓であるという説も飛び交う、奈良県にある「箸墓古墳(はしはかこふん)」です。それまで各地で造られていた墳墓(ふんぼ)とは比べ物にならないほど巨大な前方後円墳で、強力な勢力によって築かれたことが示唆され、ヤマト王権の誕生を物語っています。

 

ヤマト王権は、大和地方の首長・大王と、地方で支配権を持つ豪族たちが連合して成立した政治組織です。箸墓古墳には、形状や埋葬品に、それまで各地で造られていた墳墓との類似点が見つかっています。また、箸墓古墳が造られた後の数年以内には、箸墓古墳とほぼ同じ比率をした形状の古墳が、全国に20基以上も造られたことが分かっています。これらのことから、箸墓古墳は、各地の豪族からの知識や技術に提供によって建設され、完成後は大王が同盟国に対して同じ形の古墳を造ることを許可し、設計図またはそれに代わる何かを渡したことが推測されます。

以降、前方後円墳は全国で約4,700基も造られました。古墳の形状は、円墳や方墳、帆立貝式古墳などさまざまなものが存在しますが、前方後円墳は、ヤマト王権の王や親族、政権に密接に参加した豪族の首長層だけに築造が許された最上位ランクを示す形とされました。古墳は、権力の大きさを示すための手段であり、ヤマト王権との強固な結びつきを示す役割を担っていたのです。

日本最大の前方後円墳「大仙陵古墳」

2019年、大阪平野の南部に位置する百舌鳥(もず)古墳群が古市古墳群とともに世界遺産に登録されました。これらの古墳群は、ヤマト王権の王墓域にあり、4世紀後半から5世紀半にかけて、巨大な前方後円墳が競うように建造されました。この地域は海に近く、朝鮮半島や中国からの使節に対して、ヤマト王権の威信を示し、交渉を優位に進めるためだったといわれています。

 

古墳群の中でも特に注目されるのが「大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)」です。墳丘長(周りの濠や溝、土手を含まない墳丘自体の長さ)が486メートルもある、国内最大の前方後円墳であり、墳丘長だけでいえば、エジプト最大のピラミッドであるクフ王のピラミッドの一辺の長さを2倍以上も上回ります。高さは約35メートルで、12階建てのビルに匹敵します。現在は木々で覆われていますが、当時は墳丘に径20cmほどの小石が貼り付けられている姿が海からもよく見え、太陽に照らされると光り輝く巨大施設として威厳を放っていたことでしょう。これだけの巨大施設、建設には多くの人と時間を要したのだと推察されます。

古墳建設は国家の一大プロジェクト

古墳建設は、日本を一つにし、海外との交易を有利に進めるためのまさに国家プロジェクトでした。古墳は、王や首長の生前から長い年月をかけて造られたのです。山の上に建設する際には、まず山を削り出し、土地をならし、歩数や人が両手を広げた長さなどを基準にして測量を行い、周囲を掘りながらそれを盛土にして墳丘を築き上げました。墳丘を保護するために、斜面を石で埋め尽くし、別の場所でつくられた埴輪(はにわ)が山上まで運ばれて置かれました。

 

古墳建設には、スキクワ(鋤鍬)と呼ばれる棒の先端に鉄製の刃をつけた道具や、土砂を運搬するための吊り具・モッコが使われました。簡易的な道具しかなく、当時工事に駆り出された領民たちの労働力が膨大であったことは容易に想像ができます。しかし、彼らが強制的に駆り出されたとする説には異論もあり、建設は農作業の閑散期に行われたため、富を再分配するための公共事業的だったとも考えられています。

 

造営に氏族が現場監督を務め、後に土師氏(はじし・はじうじ)と呼ばれる集団となりました。彼らは、地方に派遣されて、農地開拓にも応用できる土木技術を各地に伝えたといわれています。古墳建設は国家の大土木工事であり、土木技術を向上させ、全国にその技術を伝えるための役割を果たしていたのです。

古墳の全貌が徐々に明らかにする最先端の測量技術

古墳は多くが木々に囲まれ、天皇の陵墓とされるものには立ち入りが許されないため、その全容を知ることはなかなか叶いません。しかし、現代の測量技術を活用することで、その全容を明らかにしようという試みが行われています。

 

国土地理院が2017年から無料で公開している立体地図は、傾斜量と尾根谷度を視覚的に表現することで、樹木に覆われた古墳の輪郭もくっきりと浮かび上がらせることができます。また、産業技術総合研究所では文化財を3次元モデル化し、デジタルツインとして公開する取り組みも進めています。(https://sitereports.nabunken.go.jp/3ddb

 

写真測量やレーザースキャナーによる3次元測量、人工衛星の画像による計測など、活用できる測量技術はさまざま。さらに、宇宙線として常時空から地表に降り注いでいる素粒子「ミューオン」を利用して、レントゲン写真と同じ原理で内部を透視し、古墳内部を調べる試みも行われています。

 

建設や土木工事はもちろん、考古学調査にも役に立つ測量技術。トプコンも実は、調査プロジェクトにいくつか貢献しています。古墳をはじめ、歴史的建造物の調査は今後ますます進むでしょう。そのときに測量技術がどのように活用されるのか、ぜひお楽しみに。

板橋区の歴史を伝えるために測量機が活躍

次期世界遺産の候補となる日本の文化遺産のデジタル化プロジェクトをトプコンのスキャン技術がサポート