2023-07-05

国産の測量機が世界で台頭するまで

目次

測量の技術は人類の進歩とともに発展してきました。測量とは、機器を用いて、距離や高さ、角度、広さなどを測って求めることです。新しい建設物をつくるとき、土木工事を行うとき、地図を製作するとき、必ず行われるのが測量です。あのピラミッドの建設時にも測量が用いられていました。地球の大きさが分かったのも、私たちが安全な家に住めるのも、すべて測量の技術が進歩したおかげです。

 

測量の作業に欠かせないのが、距離や角度を正確に測る測量機。日本では、明治時代まで測量機の大部分をヨーロッパ製測量機に頼っていました。しかしながら、現在多くの地上測量の現場で普及している「トータルステーション」をはじめ、測量の技術革新には実は日本企業も大きく貢献しています。その変遷は、一体どのような道のりだったのでしょうか。日本の測量機の進化を辿ります。

 

世界では紀元前約3000年から測量技術が使われていた

測量の技術が初めて用いられた時代は定かではありません。しかし、古代エジプトには、「縄張り師」という測量を専門にする人たちがいたことが分かっています。彼らは、直角三角形や円などを地上に描くことができ、度々氾濫が起きるナイル川流域で、洪水以降に境界を測量し直す仕事をしていたといわれています。

 

紀元前2500年頃の偉大な古代文明・ピラミッドにも高度な測量技術が使われていたことが推測できます。ピラミッドの底辺が正方形であり、正確に東西南北に沿って形づくられていること、水平に石が積み上げられていること、側面の壁が平面であること…。これらは全て精緻な測量により計画された建築プロジェクトであった証。正確な位置や角度を計測できていたからこそ、4000年以上経った今も、美しい形状を保ち続けているのです。

日本で測量が初めて使われたのは古墳時代?

一方、日本で測量が始まったのは明らかになっていませんが、5〜6世紀ごろと推察されています。その根拠となるのが、古墳時代中期につくられた巨大古墳です。これらの古墳は、大人が両手を広げた長さを距離の単位とし、水平面は溝や木槽に水を張って確認し、角度は底辺と高さからなる三角形によって求めるという、原始的な測量技術が用いられていました。

 

7世紀の始めごろ、聖徳太子の時代には、遣隋使・小野妹子が中国から測量技術を持ち帰ったとされています。その後の大化の改新により班田収授法が定められ、人民に田地を分配する際に「田図(でんず)」という地図がつくられたそうです。測量に基づく最初の地図といえるかもしれません。しかし、古代エジプトで測量技術が使われていた時代から数えると、約3000年後のこと。日本の測量は、スタートから大きな遅れを取っていたことがわかります。

画期的な測量法・三角測量でも日本は遅れを取る

1533年、オランダの数学者、ゲンマ・フリシウスが三角測量の原理を開発。1615年、同じくオランダの数学者であるヴィレブロルト・スネルが初めて三角測量法を用いて、緯度差1度に相当する子午線弧長を測定しました。三角測量とは、任意の2点を結ぶ直線の両端から、測定したい点までの角度を測定し、その点の位置を割り出す手法です。三角測量を用いれば、巻き尺や人の両手では到底測れない遠方の地点でも、角度を割り出すことで距離を導き出すことができます。

 

この測量法は地図作成や土地の測定に使用され、全世界に広まりました。日本にも1650年、江戸幕府に白砲の射撃方法を伝授したユリアン・スヘーデルが、砲術の一環として三角測量を紹介しました。しかし、当時は受け入れられられず、日本で三角測量が初めて行われたのは、西洋で三角測量が始まった約250年後の1872年。明治政府が近代化政策を進め、ようやく三角測量を含む西洋の先進的な測量技術を導入しはじめたのです。

三角測量には、角度を正確に測る経緯儀や、三角測量の基線を測る基線尺といった専用の機器が必要になります。しかし、当時の日本はこれらの機器を製造する技術がなく、ドイツ製やフランス製のものが主流でした。昭和期に入ってもなおスイス製の測量機が用いられるなど、日本は長い間、ヨーロッパ製のものに頼らざるを得ませんでした。

 

測距・測角が同時に行える世界初の測量機が日本に登場

しかし、1980年に日本から登場した機器が、測量界に新風を巻き起こします。距離を測る光波距離計(EDM)と、角度を測るセオドライトという機器を一体化することで、距離と角度を同時に計測できるという前例のない革新的な機器「EDMセオドライト GTS-1」が登場したのです。それまで、別々に測っていた距離と角度を世界で初めて同時に測れるようになったことで、測量時の作業効率が大幅に向上しました。また、その画期的デザインから、飼育用熱帯魚でも知られる「グッピー」という愛称で呼ばれ(英語発音では「ガッピ―」)、世界シェアNo.1の測量機ともなりました。

その後、グッピーのように測距・測角が同時に行える測量機は「トータルステーション」と呼ばれるようになり、今やトータルステーションは世界中の測量現場で使用されるようになりました。

EDMセオドライト GTS-1

この世界初のGTS-1を開発したのは、日本の株式会社トプコン(当時の東京光学機械株式会社)でした。海外製の測量機に頼っていた日本が、測量機の国産化を進めた結果、ついに測量機の進歩をリードする存在になったのです。

 

測量技術の簡易化に成功したトプコンの「杭ナビ」

トプコンは、創業来培ってきた光学技術と最新技術を融合させながら、今日も世界中で使われる測量機器を作っています。今、トプコンのトータルステーションの中でも注目されているのがLayout Navigator LN-150「杭ナビ」です。「杭ナビ」は、高度な技術を持たない人でも簡単に杭打ちや墨出しが可能になることを目的に開発されました。

従来のトータルステーションにあった操作パネルや液晶をなくし、スマートフォンやタブレットを用いて簡単に操作できるようになったことで、これまで2人以上必要だった杭打ちが1人で完結できるようになり、作業効率が大幅に向上しました。

また「杭ナビ」はマシンガイダンスシステム『杭ナビショベル』のセンサーとして利用できるため、「ICT施工」と「測量」の兼用も可能。ICT建機システム導入のハードルを、大きく下げることができました。

最新技術を取り入れ、革新的な測量ソリューションを提供することで、建設工事を効率化し、世界のインフラに貢献する。そのためにトプコンは、今後も挑戦し続けます。

トプコンの測量に関する製品情報

トプコンが設立されたのはいつ?きっかけは測量機の国産化のためだった!?