2023-01-25

【トプコンの歴史②】なぜ、トプコンは早くからグローバル市場を開拓できたのか?

目次

トプコンは、海外グループ会社60社以上、海外売上高比率 約8割と、世界中のネットワークを通じてソリューションを提供するグローバル企業です。

そんなトプコンがグローバル展開を始めたのは1970年代。市場を切り拓き、グローバル企業へと成長していく過程を振り返ります。

 

トプコンの歴史①創業期「なぜ、トプコンのはじまりは光学機器だったのか?」

 

自らの手で海外市場を切り拓く

1970年代から80年代は、トプコンの前身である東京光学機械にとって、グローバル展開への礎を築いた時代でした。初めて海外販売会社を設立したのは、1970(昭和45)年。アメリカに「トプコン・インスツルメンツ・コーポレーション(TICA)」、オランダに「トプコン・ヨーロッパ(TE)」を設立しました。

同年、トプコンの海外売上高比率はすでに32%を占めていましたが、現地販売会社だけに頼るのではなく、自らの手で市場の開拓を目指しました。

しかし当時の輸出の主力製品はカメラであり、「TOPCON」ブランドは浸透していましたが、TICAとTEの取扱品は眼科医療機器や測定器。認知度の低い製品をアピールするために、当時の社員は現場を駆け回りました。

 

TICAの初代社長は「米国市場では『What’s New?(何が新しいか)』が取引の合言葉になる。メーカーの新製品の企画と生産が非常に大切な要素だった」と当時を振り返ります。アメリカでは、東京光学機械が常に新製品を開発していたことが、代理店の信頼獲得につながっていきました。

一方、TE初代社長は、ヨーロッパの多様性に驚きました。「ヨーロッパは地域ごとに古い伝統と固有の技術を有し、基準も異なることが多い。オランダ人の好む型は必ずしもイタリア人好みではない。多様な人たちすべてに愛される製品を作ることは至難だ」と、後につづっています。

 

その後1989(平成元)年までに、ヨーロッパではドイツ・フランス・スペインなどに販売会社を設立。アメリカでは販売網を広げると同時に、製造拠点と研究所を設けました。アジア・オセアニアでは、1979(昭和54)年にシンガポール、1988(昭和63)年にオーストラリアに販売会社を置き、1986(昭和61)年には、香港に初の海外生産拠点を、中国蘇州にサービスセンターを設立しました。

こうして日本だけでなく、アメリカ・ヨーロッパ・アジアの世界4極ネットワークによるグローバル展開の体制が整えられていきました。現在、トプコンの海外売上高比率は80%。海外グループ会社も60社以上となっています。今日のグローバル企業としてのトプコンは、1970年代に手探りで市場を切り拓く経験があってこそのものでした。

1987年 創立55周年記念式典にて

 

新製品開発でオイルショックに挑む

1970~80年代のオイルショックの荒波の中、東京光学機械の経営状況改善に大きく貢献したのが、独自の光学技術に機械と電気技術を融合させた「オプトメカトロニクス(オプトエレクトロニクス+メカトロニクス)」を進化させた製品でした。その一つが、1978(昭和53)年発売の医療機器「レフラクトメーター RM-100」。従来の望遠鏡式から、世界初のモニターによる眼の屈折力を測定できる機器を開発しました。

(左)RM-1(右)DM-C1

もう一つは、1978年から1979年にかけ発売された光波距離計(EDM=Electronic Distance Meter)の新製品「DM-C1」「DM-C2」。同タイプのEDM では世界最小・最軽量を達成し、他の追随を許さない商品で、爆発的なヒットになりました。こうした画期的な測量機や眼科医療機器の開発で、総合精密光学機器メーカーとして確固たる地位を築きました。

 

そして1989年には、社名を「株式会社トプコン」に変更。同時に新しいシンボルマークとロゴも制定しました。事業規模が拡大し業績が改善していくなか、創業58年を迎え新しいスタートを切ることを社内外に宣言するためでした。

 

なぜ、トプコンは早くからグローバル市場を開拓できたのか?

――アメリカやヨーロッパで現地の文化やニーズに対応できたから

 

~つづく~

次回:なぜ、トプコンはソリューション提案企業へ転換できたのか?

https://www.topcon.co.jp/media/others/whytopcon1994/

 

トプコンの歴史については、こちらもご覧ください。

https://www.topcon.co.jp/about/history/